皇家で密かに引き継がれて来た舞を拝見できるとは、この上ない光栄だ。一つ頷き、朱璃は扇を広げた。
翡翠帝:「『春の兆しが感じられるようになってきましたが、お義兄様はお元気でいらっしゃいますでしょうか?』」
翡翠帝:「『奏海は元気にやっております』」
翡翠帝:「『あまりに元気ですので、お前は風邪を引かない奴だとお義兄様にからかわれたのを思い出します』」
古杜音が口の中で祝詞を上げる。店長のように、低い、地が震えるような声音ではない。声としてはほぼ聞き取れない音の羅列が、古杜音の身体を包み、拡大していく。
滸:「宗仁、今日はすごくいいよ。まさか二本取られるなんて」
宗仁:「そっちは本気を出していないだろう?」
滸:「まあ、それはそうだけど」
刀を首筋に当て直すと、周囲からざわつきが聞こえた。ようやく立ち上がった兵士達が、エルザの状況を見て動揺しているのだ。
苦痛に宮国が呻いた。
滑らかな曲線を描く裸体。月光に照らされ、磁器のような乳白の輝きを帯びている。硬質かと思いきや、肌に触れた指はほどよい抵抗の後に沈む。
色気云々の前に、芸術性すら感じられる身体だった。視線を下方にずらせば、腹部には肌を抉る銃創が三箇所あった。俺の見間違いでなければ、宮国は十発以上撃たれていたはずだ。
宗仁:「動くな」
翡翠帝:「は、はい……早く取ってくださいっ」
翡翠帝:「あ、でも、お義兄様が刺されてしまうかもしれませんので、どうかお気をつけて……」
五十鈴:「なるほど、大変でございましたね」
古杜音:「笑い事じゃないです。ああ、大恥をかきました」
五十鈴:「まあまあ、柿でも食べて落ち着いて」
俺の視線の先で、二人が対峙する。
数馬:「槇家当主、槇数馬」
滸:「稲生家当主、稲生滸」
強引に手を引かれ、寝台に座らせられた。高価な寝具に血液がつくが、翡翠帝に気にする様子はない。
救急箱を持って来た翡翠帝が、私の前に跪く。
翡翠帝:「消毒します。痛むかもしれません」
血と肉の汚泥に踝まで浸かりつつ、冷静に刀身の血脂を拭ったという。長きにわたり続いた大戦は、《胡ノ国》の滅亡によって終止符が打たれた。
戦いに勝った連合国家は、緋彌之命を王と仰ぎ、新しい統一国家として船出する。
朱璃:「皇家の血を引く者として、私にはまだやるべきことがあります」
朱璃:「その身、その命、いま一度私に捧げなさい」
朱璃:「どんな最期を迎えることとなっても、私はあなたの全てを……その魂までをも受け止めましょう」
画面では可愛らしい衣装を着た少女が歌っている。
戦後彗星の如く現れた人気歌手、菜摘だ。登場してすぐ、彼女の明るい歌声は敗戦で沈んだ皇国民の心を捉えた。
今や菜摘の声を耳にしない日はない。
蘇芳帝:「皇帝は、《大御神》より皇国をお預かりしている身です」
蘇芳帝:「従って、《大御神》に代わり、大地の豊穣と国の平穏を守る義務があります」
蘇芳帝:「ここまではわかる?」
大きな柿の木がある、山の中の一軒家。そこで、私が木刀を振っている。
雨の日も、風の日も雪の日も──ただひたすら、お母様の仇を討つことを念じて鍛錬を続ける。木刀など握ったことはなかった。すぐに手はマメだらけになり、潰れた痛みで握力が失われる。
それでも手は休めない。来るべき時のために、ひたすら剣を振る。刀を取り落とせば、すぐに叱責が飛んだ。
ようやく声を出すと、少女は柿を服の端で擦ってから、美味しそうに食べ始めた。彼女の笑顔を見ていると、なぜか幸福な気持ちになれた。
古杜音:「実りとは《大御神》のお恵みなのです」
古杜音:「収穫せずに放置するなど、許される事ではございません」
死の恐怖に駆られ、本能的に刀を抜いた。刀の呪力が手のひらを通して流れ込んでくる。
まるで、自分の身体が別物になったように軽くなる。
呪装刀《宵月》。持ち手の敏捷性と筋力を底上げしてくれる、実戦向きの業物だ。
赤色の目を光らす信号の上に、その少女はいた。
夜陰に青ざめた式服が、寒風にたなびく。
雪の中に佇む姿は、息を飲む優美さと、一切の穢れを拒む清冽さを奇跡的に同居させている。
何度目かの掃射を辛くも避ける。頭を掠めんばかりの高度で通り過ぎたヘリが、空中で旋回した。
待っていた瞬間だ。
古杜音を背中から下ろし、呪装刀を逆手に持ち替える。
古杜音の呪術に気付いたのか、敵兵の銃弾が古杜音に集中する。
赤灯が太刀を奔り、切っ先で弾ける。
柔靱な肉体が虚空に吸い込まれ──少女の斬撃が、先頭の車両を断ち割った。
全身で照明を浴び、高らかに歌い上げる。
遍く、皇国全てに届くよう。
敗戦で傷ついた人々の心を、少しでも癒やせるよう。
さあ戦おう。
主の夢をつなぐために。
戦車の主砲が俺を睥睨する。
古杜音:「《防壁》がっ!?」
朱璃:「こんなところで」
朱璃:「死ぬかーーーーーーっっっっ!!!!!」